ホスピタルコンサート
16年前、ひょんなことからホスピタルコンサートが始まった。
「病コンやってみませんか」
東京芸大名誉教授の畑中良輔先生の突然のお申し出だった。
「病コン?」
ぼくがきょとんとしていると、畑中先生は言った。
「病院コンサートのことよ」
当時は駅コンというのが流行っていた。
駅コンの向こうを張って病コンをやろうというのだ。
それ以来16年一度も休むことなく、夏の一日、ホスピタルコンサートが催されてきた。
一流の音楽家たちが全員ボランティアで集まる。
地域の方々が毎年楽しみにして、5百席の椅子が埋まる。
今年はモーツァルトイヤーにふさわしく、たくさんのモーツァルトの名曲が演奏された。
第一部の最初は、ドイツ留学中の奈良真潮さんが『きらきら星変奏曲』を演奏した。
様々な要職に付き、お忙しいフルーティストの峰岸壮一さんは、久しぶりの出演だった。
『アンダンテハ長調K.315 』と『アヴェマリア』を吹いてくれた。
テノールの下野昇さんは、『マイフェアレディ』や『キャッツ』を声量豊かに歌い、岩崎由紀子さんが『初恋』をしんみりと歌った。
みんな音大の教授か元教授である。
日本を代表するプリマドンナを長く務めた伊藤京子さんは、舞台で歌わなくなった後も、このホスピタルコンサートでは歌い続けてくれたが、数年前から詩の朗読をしてくれるようになった。
今回は團伊玖磨さんの「パイプの煙」。会場が笑いに包まれた。
圧巻は青木十良先生のチェロ。今も第一線で活躍する91歳である。サンサーンスの「白鳥」をはじめ3曲を演奏してくれた。何千個の音符を一つ一つ拾って吟味し、解読して演奏しているという。
「譜面の中身をしっかりつかんで、楽器を通してつかんだ心を伝える。これが演奏家の使命です。作曲家がどんなつもりでこの曲を作ったかを想像するのは楽しいですよ」
91歳の今でも、毎日6時間ほどの練習をしているというから驚きである。
「いろんな好奇心をもってやってきました。若い頃は、飛行機を操縦しようとしたり、オーディオの開発にのめり込んだり、ロシア文学をはじめとする様々な小説を読みふけったり、無駄なこともいっぱいしてきました。人間へのより深い興味は、音楽のより深い理解へと導いてくれます。良い音楽の底流には文学が脈打っています。若い頃のように指は動いてくれませんが、年をとっただけ音楽の中身が見えてきました」
雄大で暖かくて包み込んでくれるような音色が、病院のホールに流れ出すと、会場は静まりかえった。所々からすすり泣きが聞こえる。吹き抜けの二階にいる患者さんたちだろうか。感動したご家族だろうか。不思議な空気に包まれていく。演奏が終わると、司会の畑中良輔先生は泣き声でマイクを握った。会場が泣き、司会の畑中良輔先生が泣いている。みんなが感極まっているのである。
今年恩賜賞を受賞なされた畑中先生は今もやんちゃな少年のような心の持ち主だ。
好きな曲や演奏の後には、たっぷり想いのつまった解説をしてくれる。
このときばかりは言葉を超えて、音楽の素晴らしさをぼくたちに教えてくれた。言葉なんかいらない時もあるのだ。
第二部はオペラの名作『魔笛』。ホスピタルコンサートでオペラは2回目である。
パミーナを岩崎由紀子さん、パパゲーノを山田純彦さん、パパゲーナを山田昌子さん、ザラストロをバリトンのベテラン築地利三郎さん。
諏訪中央病院の検診で病気が見つかり、手術して回復した三浦洋一さんが、7年ぶりにピアノを弾いてくれた。
ぼくらのできるお返しは、病気の早期発見をして、治してあげること。
ぼくと矢崎市長は、どういうわけか殺され役に出演させられ、なんだかわからないけれど会場が盛り上がってしまった。
幸せな音楽会だった。
音楽会なんか行ったことのなかった92歳のおばあちゃんが、毎年楽しみに来てくれる。今年も、両杖をついて腰を曲げながらやって来た。「よく来てくれたね」ぼくが声をかけた。
「毎年、本物の音楽を聴くのを楽しみにしているの」
良いものは伝わるのだ。
畑中良輔先生の指揮で、『夏の思い出』と『ふるさとの歌』を観客と出演者が一緒になって歌い、フィナーレを迎えた。
コンサートの後は、病院のハーブガーデンでパーティが始まる。
職員やボランティアたちが総出で、煮物や芋汁などの田舎料理と、朝摂りの新鮮な野菜を振舞い、和気藹々とした楽しい時間を過ごす。
日本を代表する音楽家たちの本日の演奏料は、新鮮な野菜。すごいことだ。
出演してくださった20数名の音楽家以外にも、小川雄二先生をはじめとする音大の教授が裏方を支えてくれている。
たくさんの方々のおかげで、16回目の夏のホスピタルコンサートは大好評で幕を閉じた。
しばらく病院では、このコンサートの噂で持ちきりになる。患者さんそれぞれが、あの歌が良かった、あの曲が良かった、と言い合う。音楽によって命に力が与えられ、ぼくたちの病院の患者さんたちは、また病気と真っ向から闘いを臨んでいくのである。
こんな豪華なプログラムのコンサートは、東京でもなかなかお目にかかれないのではないか、とちょっと自慢に思っている。
たくさんの音楽家に感謝。